うそこ大学
うそこ大学の歴史
開校 福沢諭吉の奥さんの弟の奥さんの実家の隣に住んでいたうそつきまくりうそゆうぞうが設立。 4月1日に面白半分で福沢諭吉の関係者ということで看板を掲げたところ予想以上に生徒が集まり、開校。
戦時中 大空襲でもなぜか玉が一発も当たらずに無傷で戦争を乗り切る。それで奇跡の学校ということで生徒数が爆発的に伸びるが、しばらくたつと中身がばれたため激減。
戦後 小学校だと偽ってGHQからもらった脱脂粉乳を水で薄めて転売し校舎立替費用にあてる。
高度成長期 ベビーブームに合わせて生徒受入数を毎年倍々ペースで増やす。ピーク時には机一つに付き二人ないし三人の詰め込み教育。ヒザが当ることを見越して購買で販売したニーパットが売れに売れ、それならばと鼻息荒く、さらに机数を減らしたところ各方面からひんしゅくを買う。
バブル期 ダメ元で全家庭に寄付を募るダイレクトメールを発送。浮かれた世の中ゆえか意外とお金が集まり、口座残高確認のため教授が持ち回りでATMに寝泊まりする日々が続く。またダメ元で校門に賽銭箱を設置したところこれまた意外とお金が集まり、賽銭泥棒対策委員会発足。
現在

世の人々の目が覚め、毎年のように生徒数の前年度割れが続く。バブル絶頂期に一度だけ学園祭に呼んだ元プリンスのネームバリューだけを心のより所に日々街角で生徒勧誘に励む。ようやく教授の1人がインターネットをマスターし、ホームページ開設。